プライベート BOOK 映画

未確認飛行物体の話〜もはやおかまは宇宙人でなくなった。

今日はジェンダーとSF(サイエンスフィクション)の話だ。

声帯の病気で休んでいる間、かなりの量のアニメや映画を見た。このご時世、暇を潰すコンテンツは無数に溢れている。もう入院も怖くない。(いや、入院はしたくない)

特にダンダダンにはハマった。オカルト現象が次々と起こり、宇宙人や妖怪と闘う話。見てるだけで元気になるので2周してしまった。独特なギャグセンスもあってか、主人公が呪いによって無くした金玉を探すというアホな展開もあったりする。

テンション高い! 女子が強い! 現代版うしおととらの様な作品だ。

しかし、それ以上に面白かったのが、デッドデッドデーモンズデデデデデストラクションというアニメ。偶然にもこちらも宇宙人ものだがタイトルが意味不明(ダンダダンも意味不明)。作品の存在は知ってたけど、ちゃんと見るのは初めてだった。

これはすごい! 

私の好きなもの全部詰め込んでいる。

ある日東京の上空に巨大な未確認飛行物体が現れて、日常が一変した女子2人の地球滅亡ストーリー。内容が濃いので、説明すると長くなる。

この作品を一言で言うと

「超大長編ドラえもん」

作品の土台がドラえもんで、キャラ変え品を変え、さまざまな漫画のSF要素を集約させて大人向けエンターテインメントに仕上げた感じ。作者が自分と同い年くらいなので、同時代性もあってか扱ってる内容がほぼドンピシャだった。ドラえもんの他には、エヴァ、ハルヒ、まどかマギカ、シュタインズゲート、20世紀少年、映画ではインターステラ未知との遭遇第九地区、など、どこかで見たことのあるSF設定があちこちに散りばめられている。そして主役の声優はYOASOBIのボーカル「幾田りら」と「あのちゃん」と超豪華。まあ2人ともうまい。

クセのある画風なので変な顔の登場人物が多い。宇宙人の視点で人間を見てる感じにもなってくる。

で、話はだいぶ外れたんだけど、本題はジェンダーの話だ。

このデッドデッドデーモンズデデデデデストラクションにはマコト君という女装男子が出てくる。田舎育ちの少年なんだけど、綺麗になりたい、可愛くなりたい、なんだったらアイドルになりたい、という動機で高校卒業後に上京する。マコト君は普段は金髪のウィッグを被っていて化粧もしているが、仕草や喋り方は男子のまま。けど、主人公たち含め周りの友達はなんとも思っておらず、ごく普通に接している。

こんな感じの少年だ。目元までは可愛いが、歯並びの悪さがいい味を出している。

何の変哲もないごく普通の女装男子。実はこの図式はあまり見たことがなく、アニメに出てくるオカマキャラはだいたい「変わった奴」「女子以上に美しい奴」「なんか抱えてる奴」みたいなのが多いんだけど、このマコト君は至ってノーマル。いい奴という以外にこれといった特色もない。

私自身も違和感なく見ていたわけで、マコト君が何で女装してるのかとか、男が好きなのか手術したいのか、何一つ疑問を抱かなかった。

「そういう時代になったんだなあ」と思った。そういう人いるし、いろいろ事情もあるだろうけど、まあとりあえずよろしく、みたいな。特別視されることもない。

人は慣れる。マジョリティもマイノリティも根っこの部分は変わっていない。見る方も表現する方も、ただ慣れただけだ。ネットの普及やメディアの扱いでそうなったのか、誰かが意図的にそういった流れを組み込んでいったのかはわからないけど、どっちにせよまこと君みたいな人がその辺にいても何とも思わない時代になったということだ。今回のデッドデッドデーモンズデデデデデストラクションを見てつくづくそう感じた。

そうなると、この先おかまという存在はどうなるのか?

おかまバーに存在意義はあるのか?

微妙なところだがしばらくは無くなることはないだろう。

ただ、おかまという言葉はのちのち消えていくのではないかと思っている。

ここ最近、X(旧ツイッター)では、おかまというワードで検索ができなくなった。

エゴサーチで「おかま共和国」と検索すると「共和国」のみが表示される。

エゴサーチができない。これは困った。

そしてなぜかやたらと「ナウル共和国」が引っかかる。

ナウル共和国ってどこ

太平洋の孤島だが、れっきとした共和国だった。「おかま」というワードは除外され「共和国」のみが引っかかってるのでナウル共和国がやたらと出てくる。しょうがないのでフォローしてやった。ナウル共和国さんも、このブログを見ていたらぜひフォローバックしていただきたい。

まあ、それはいいとして。

今のところ「おかま」が検索できないのはXだけであり、GoogleやYouTubeは普通に表示される。YouTubeでおかまで検索すると上位の方に私が出てくる(それはそれで恥ずかしい気もする)。

X以外のSNSは大丈夫そうだが、欧米企業はいきなりルールを変えることがある。ある日突然、この世界からおかまというワードが消えてもおかしくないのだ。

洋画では男を罵る言葉として「おかま野郎」というセリフがけっこう出てくる。これを言われた相手はブチ切れ、取っ組み合いの喧嘩になる。誰もがそんなシーンを一度は見たことがあるだろう。洋画で「おかま」はポジティブな意味として使われない。完全に侮蔑用語である。もちろん日本語でもイメージがいいとは言えないが、西洋ほど悪い意味で使われるものでもない。

さて、ここからさらにつなげていこう。今日のタイトルは未確認飛行物体の話だ。

こんな小説をご存知でしょうか? 多分大多数の人が知らないであろう作品ですが。

未確認尾行物体 島田雅彦

飛行じゃなく、尾行。刊行されたのは1987年。私が小学生の頃で今からおよそ40年くらい前のもの。

タイトルからは想像に及ばないが、実はこの小説はオカマを題材にした物語で、当時ならではのブラックユーモアが入り乱れている。現代なら確実に炎上する内容で、恐らく発行すらできないだろう。

小説の裏表紙には、このような紹介文が書かれている。

産婦人科医・笹川賢一にとってルチアーノとの出会いが破滅の始まりだった。この執拗なオカマの尾行者のために、笹川氏の世界はハチャメチャな逆転をとげる。優雅な「上流階級」からの脱落、家庭崩壊、そしてエイズ。

まあ酷いですね。

しかし、あくまでも40年前の内容である。当時はゲイ、ホモ、オカマ=エイズのような価値観がはびこっていた。実際は性行為より、薬物をキメるのに同じ注射を回し打ちしていたことが原因であることが多かったのだが、どうもゲイが標的にされてしまった。

HIV患者と性行為して感染する確率はかなり低く、1%未満である。コンドームをつけるとほぼ感染しない。それでも肛門性行は直腸が傷つきやすいので知らずに出血している可能性があることから血液感染のリスクはある。もちろんゲイに限らず、異性間での性行為でもHIV感染は起こりうる。

感染病は誰もが気を付けるべきだが、小説の話に戻ろう。作中にこのような文章がある。

おカマは一代限りで子孫は残せない。生まれた時は親の子でも、おカマになったときから勘当も同然の扱いを受ける。社会習慣や道徳で満たされた世界から遠ざかった者にはただ一つの活路しか残されていないのだ。それは、同族の者たちが寄り添って、一つの禁忌(きんき)の世界を組織すること。そう、おカマはおカマだけのエデンの園にとどまるしかない。

おカマは決して、アブノーマルな世界に浸り切っているわけではない。以前はルチアーノが働いていたゲイ・バーにくる客は自分たちはノーマルな種族、おカマはアブノーマルな種族という二元論の楯に隠れて、無神経な人種差別ゲームに興じていた。鼻持ちならない成金が愛人を連れてやってくると、おカマは一個の見世物になる。「キャー、本物みたいだわ」といって騒ぐ愛人を見て、成金は喜ぶ。何しろ女が一番偉くて、二番目が男、おカマは最低なのだ。

※島田雅彦「未確認尾行物体」から引用

笑ってしまう。しかし、これは数十年前のまでは事実である。事実ゆえにたちが悪い。

現にバラエティ番組ではネタにされてたね。

そしてもう少しこの小説の内容を解説すると、主人公の産婦人科医の男性はHIV患者のオカマに噛まれて血液感染する。エイズを抱えながら生きることで、さまざまな問題に直面する。最後はちょっと意外なオチなので、もし興味ある人は読んでみるのもいいかもしれない。

この小説のタイトル「未確認尾行物体」は、最初はストーカーのオカマのことだと思わせ、実は「エイズウイルス」そのもののこと。我々人類は未知のウイルスに尾行されている、という話なのだ。構成としてはものすごく面白いんだけど、コンプライアンス的に現代には向かない。

さて、40年前の小説がこんなだったこともあり、我々おかまはまるで宇宙人のように思われていた時代があった。それが今ではデッドデッドデーモンズデデデデデストラクションのまこと君のように、何の違和感もないごく普通の存在になってしまったのである。皆が慣れてしまったのだ。

もし、宇宙人がいるとしたら、この世界はおかまを慣れさせたのと同様に、徐々に生活に浸透させ、気がついたら居て当たり前の存在になっているのではないかと思う。

セクシュアルマイノリティという存在が当たり前になりつつある今、もはや区別された言葉に翻弄されることもなくなりつつある。

最近では誰もノンバイナリィとか言わなくなった。時代はジャンルから、さらに個人へと切り替えられていく。

これはもう、梅酒というよりチョーヤです。

というCMがある。

初めは何言ってんだ?と思ったけど、今になってよくわかる。

チョーヤの個性が梅酒というジャンルに収まらない、ということなのだ。

梅酒梅酒いうけど、うちらCHOYAっすから。

おかまのきょん、という肩書きは今後いらなくなっていく。

チョーヤの梅酒のように

これはもう、おかまというより、きょんです。

というのが正しい。

ジャンルによって確立されてきた個性を振りかざす時代は終わり、各々がジャンルを確立する時代になったということだ。

おかまは宇宙人ではなくなったのである。

おあとがよろしいようで。

ここ10年で本当変わったね。

コメント