先週来たお客さんにこんな心理テストをされた。
好きな動物は何?
うつぼ
………
…うつぼってのは…初めてですが。まあ、いいでしょう。
じゃあ、うつぼが好きな理由を三つ答えてください
毒々しい外見が魅力!
愛嬌のある顔!
キモ可愛い!
お客さんは、その答えをそのままメモに書き写し、
それが、あなたの異性のタイプになります。
えええ!
それじゃあ私の好きなタイプは、毒々しくて愛嬌があってキモ可愛い人ってことですか?
そういうことです
そんな奴おるか!

でも、わからないでもない。案外当たっている。少なくとも愛嬌に関しては確定だ。
そうか、わたしはウツボみたいな男性を求めていたのか。
いや、それはないなあ。
というわけで今日は、やっぱり彼氏ができない話2024。
もはやタイプなどない
さて、クリスマスも近い。必然的に恋愛の話が多くなる。
こんな仕事をしていることもあって、毎週のように「好きなタイプは?」と聞かれる。
これがまた、本当に思い浮かばない。もちろんうつぼのような男ではない。
直感的にいい顔、として思い浮かぶ人は何人かいるけど、その人とどうにかなりたいとはこれっぽっちも思わない。田中圭の顔とか割と好きだが、目の前に田中圭が現れても「あら、こんにちは」くらいしか言わないと思う。
この歳になると、パートナーに求めるのは「一緒に住めるかどうか?」である。
自分の家に置いてみて、どのくらい邪魔にならないかを基準に考えた結果、パッと思い浮かぶのが
「さなかクン」
なので、最近は好きなタイプは「さかなクン」と答えている。
ほっといても魚の研究ばっかしてるだろうし、気がついたら新しい水槽が増えているかも知れない。
そんなのを見て「ギョギョギョ」と答える生活。悪く無い。水道料は高くつくが、それ以外は手がかからなそうだ。

生活>パートナー
これが正直な答えだ。こちらの生活を乱さない程度に溶け込んでくる奴。スマホ見ただの、昨日どこ行ってただの、そういう嫉妬バキバキの熱い恋愛はこの先の人生でもうすることはないと思う。
恋の病とはよく言ったもので、恋愛とはどこか治療のような側面がある。
水商売10年以上やっているとわかってくるが、
一番パートナーを欲しがってる人は、最近パートナーを失った人である。
別れたての人は、これまでのパートナーとの時間がすっぽり空いている状態になる。まるで呪術廻戦の連載が終わってしまったジャンプのように寂しい。ちなみに少年ジャンプはこの呪術廻戦ロスを埋めるが如く、その翌週にハンターハンターの連載を開始させた。実に狡猾だ。
恋愛はそういうわけにはいかないが、別れの痛手は出会いを求める強烈な原動力になる。
恋愛で傷ついた感情は、恋愛でしか埋められない。この連続性を保とうとする営業努力がに繋がるt次の恋につながる。
出会いを求めてる人間は、そういうアプリを使い、そういう場所に出向く。
出会いは、出会いを求めて行動した数に比例する。寂しがることは大事なのだ。

寂しくなったらパートナーを求め始めるんだろうけど、ないなあ。
これは年のせいか? 性格なのか?
触り方が9割
昔から男性社会で理解できないのが、
異常なまでに強いタッチである。
男子には一部、ドギツイ挨拶をかましてくる輩がいる。理由もなく背中や尻を思いっきり叩いてくるのだ。本人はコミュニケーションのつもりだが、痛いものは痛い。
なぜ叩くのだ、聞くと「俺にもやっていいよ」と言うので遠慮なくやり返す。ドMなのではないかと思う。
女性側として生きるようになったのでそういうことはされなくなったが、相変わらず触り方の雑な男というのがいる。痛いので「痛い」と言うと、叱られた犬のようにシュンとなる。まったく理解できない。相手が痛がることをしなければいいのに。未だに謎である。
玉取って筋肉も衰えてしまった現在、今まで以上に身体能力の差がはっきりとわかる。強いタッチには警戒心しか湧き起らない。
なので私は逆に、触られ方が良いと好感を得ることが多い。痛くなく、ソフトすぎてくすぐったくなく、いやらしくないあたり。難しいんだけど、こればかりはフィーリングとしか言えない。動物も撫で方ひとつで懐いたり逃げたりするわけだから、そこは女性もおかまも同じだと思うんだけど。

触り方が肌に合う人がたまにいるのだ。そういう男性にはドキッとするぜ。
一人に慣れすぎてしまうと手に負えない。
彼氏ができない最大の理由は、おひとりさまを極めてしまったことである。
一人暮らしにランクがあるとしたら、私は間違いなくグランドマスターになれる。
自炊、洗濯、掃除は完全に無意識で行なっている。まるでフルオートの領域展開だ。何も考えなくても、低コストで栄養を考えた一人前の食事を作り終えている。食材は1週間おきに冷蔵庫が空になるように計算して買い物する。カレーやシチューは皿や調理器具に汚れが残りやすいので作らない。洗い物の負担が増えるものはメニューから外している。電子レンジも炊飯器もなしで、大体のものは片手間で作れる。コーヒーもスタバより全然うまいのを淹れることができる。

この前、旅行に行ったときも、行く前に徹底的に家中を掃除した。帰ってきたとき最高の気分で我が家を満喫できるように仕込みをしておくのである。旅行後は現実に戻されるわけだが、帰る部屋がめちゃ綺麗だと、やっぱ家最高と思える。
唯一洗濯を干すのがめんどいので、ドラム式の乾燥機付き洗濯機を買おうか悩んでいる。まだ洗濯機が動くので、もったいないから使ってるけど、早くぶっ壊れて欲しい。買い換えるきっかけが生まれる。
あまりに効率よく日常が送れるようになってしまったため、今更誰かが入り込まれたら困るのである。自分自身が、自分の使用人になってしまった。
セクシャルマイノリティは、孤独に対する覚悟が違う。人生に結婚、家庭というゴールを想定していないので、いかに一人の時間を有意義に過ごせるか、ということに務める。この努力をしすぎたせいで、パートナーがいらない自分を作り上げてしまった。

そんなことも健康でいられるうちだけ
しかし、それはあくまで私がまだ健康だからである。45歳、いつ病気になるかはわからない。事故に巻き込まれて不自由な体になる可能性だってある。そんなとき、やはり支えあうパートナーがいたほうがいいだろう。
しかし、どっちか先に死んだら結局一人になるのだから、やっぱり同じことなのかも知れない。いやあ、この辺は難しい問題だ。答えはない。

なんのために女になったの?

これはよく言われる。男に好かれたいから女やってんじゃないの? と言われる。
そういうわけではない。これは前にも話したが、思春期何となく自分は男では無いなあ、かと言って完全に女性というわけでもないなあ、と感じていて、それがずっと続いていたから今の生き方になっただけで、別に男にモテたいからこうなったわけではないのだ。
以前、とある男性に「お前がチンコ取ったらヤってやるよ」と言われたことがある。なんて言い草だ。上から目線にも程がある。もちろんそんな奴にヤラせるために性転換手術するつもりなどない。
形の問題、というか、その外見性が男性よりも女性寄りのほうが落ち着く、というだけのことだ。実際見た目だけは変えていても、声を変える気がないところがその証拠だったりする。
まとめ 40にして惑わず
2024年も残すところあと1ヶ月になったが、今年も浮いた話はなさそうだ。
40にして惑わず、という孔子の言葉は有名だが、マジでその通りでほとんど戸惑いがなくなってしまった。ラインが既読にならなくても「まあいいか」と思う年なのだ。
ラルクのフラワーという曲では「とまどいばかりだけどー」というフレーズがある。戸惑いがなくなった今、まさに不惑。
ところで、武田鉄矢が言ってたことなんだけど、実は孔子の時代には「惑」という漢字は存在していなかったそうだ。惑うは、あとから書き換えられたものであり、当時は別の言葉だった、という説がある。
実際はなんだったんでしょうか? 40にして勃たず。とか知れないが、まあ何でもよい、ということで。

心理テスト的には、私のタイプは、毒々しい外見で愛嬌があってキモ可愛い男、つまり
うつぼのような男ということになる。

そんな男性は現れるのか?
そして、そんな男性を、わたしは好きになれるのか?
おあとがよろしいようで。



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