こんにちは、トランスジェンダー女性のきょんです。本厚木のオカマバー『おかま共和国」でチーママをやってます。
トランスジェンダーなら知っておきたい話。人間の性自認について、とても興味深い本があるので紹介します。
ブレンダと呼ばれた少年。
男子として生まれたが女の子として育てられ、のちに再び男子に戻るという奇妙な人生を送った少年ブレンダ。ブレンダは物心がつく前から女の子として育てたにもかかわらず再び男になることを望んだ。この本の論点は、自分が男か女かという人間の性自認は、環境では変えられないということ。当時、性自認は育った環境で決まるという理論を提唱していた性科学者ジョン・マネーは、ブレンダを自分の理論を証明するための材料として扱う。まだ性転換手術が今ほど普及していない時代の実話である。
双子の長男として生まれる
1965年8月22日、カナダのマニトバ州南部にある都市ウィニペグで双子の男の子が生まれる。12分差で生まれた2人は兄をブルース、弟はブライアンと名付けられた。

包皮切除手術を受けるが失敗
赤ん坊が7ヶ月になってまもなく、母ジャネットは双子の子供が排尿の際に痛がっていることに気づく。子供たちはおむつを替えてみても泣き止まない。調べてみるとペニスの先端の皮がキツイため尿が外に出にくくなっている。ジャネットは2人を小児科医に連れて行くと、包皮切開手術を受ければ治ると診断された。
手術予定日の1966年4月27日午前、兄ブルースの手術が始まる。ベテランの執刀医が不在のため、代理で一般開業医ヒュートが行うことになった。ヒュートは電気焼灼器(しょうしゃくき)で包皮の切除手術を行うが、失敗する。皮を切るための機器をペニスの先端に当ててしまう。真っ黒に焼きついたペニスは排尿不能の状態になってしまったため、導尿のための緊急手術が行われる。兄の手術トラブルにより、弟ブライアンの手術は中止された。
この包茎手術の失敗により、兄ブルースはペニスを失った。今後成長しても通常の性行為などは不可能と診断される。手術を中止した弟ブライアンはその後、自然とペニスの皮がむける。両親はこの手術は全く不必要なものであったと知る。
50年以上前の医療事故だ。現在はこんなことはないと思うけど、取り返しのつかない事故だけにキツイ。
性の伝道師ジョン・マネー
この手術事故から10ヶ月後ブルースの両親は、テレビでジョン・マネーという名の性科学者が出ているのを偶然見かける。マネー博士は性転換手術の有用性を熱心に語っていた。1967年当時では性転換はかなり珍しいものであり、両親とも実際に目にする性転換者は初めてだった。マネー博士は半陰陽(現代ではインターセックスと呼ばれる、性器が不完全の状態で生まれてきた状態)の患者を、手術とホルモン療法によって、最適な性に変えることができると説明していた。その番組を見て母ジャネットは、自分の息子を女性として育てる選択肢を考えるようになり、マネー博士に手紙を出す。
【ジョン・マネー】1921年ニュージーランド生まれ、25歳でアメリカに渡りハーバード大学で心理学の博士号取得。その後ジョンズホプキンス大学病院勤務。性科学研究において頭角を現す。性自認(ジェンダーアイデンティティ)という言葉を作った人物でもある。不完全な性器を持つインターセックスの患者に対しての性転換手術の成功により世界で話題を呼ぶ。

ジョン・マネーの持論は、性自認は環境によって左右されるというもので、男の子として生まれた子供でも、女の子として育てれば女性になるということだった。これはのちに誤った理論であると証明されることになるのだが、この時代はまだマネー博士の考えを支持する人も多かった。
実はこの博士は父親がクソ野郎で、そんな父親の元で育てられたので男性性というものにどこか嫌悪感を持っていたらしい。
1967年、両親はマネー博士のいるジョンホプキンス大学を訪れる。マネー博士は自信たっぷりな印象で妙な説得力があるので、若い夫婦は彼のいうことを盲信的に受け取った。マネー博士は、ブルースが男性から女性への性転換手術を受ければ、妊娠は無理だけど性行為は可能で、オルガズムも得ることができる。将来的には女性として生きていく方が幸せである、と説明した。
両親はまだ決められずにいた。地元に帰り周囲の人に意見を聞いてみたら、小児科の担当医は「そんな荒療治は認められない」と反対する。ブルースが5〜6歳になるまで様子を見た方がいいとアドバイスするが、両親は悩んだ末、息子を女の子として育てることを決める。髪を切るのをやめ、服装は女の子ものに変えた。名前もブルースからブレンダと呼ぶことにした。
去勢手術を受ける
1967年7月3日、ブレンダはジョンズ・ホプキンス大学病院の婦人科で去勢手術を受けた。1ヶ月後、双子は2歳になった。母ジャネットはブレンダの誕生日にドレスを着せたが、拒否。ブレンダはドレスを引き裂こうとする。その後も女の子らしい遊びはすべて嫌がり、幼稚園ではトイレは立ちションするなど、男の子的な傾向を見せる。双子の弟のブライアント取っ組み合いの喧嘩をしても、いつもブレンダが勝っていた。ブレンダはこの頃から男の子のような気質を見せていた。
去勢手術後、ブレンダの性自認を確認するために何度も病院で検査が行われたが、ブレンダは検査そのものを異常なまでに嫌がるようになる。マネー博士の理論では性自認を確立させるためには、早い時期に男性と女性の性器の違いを理解しなければならない、というものがあったので、性的な質問もすることが度々あった。
異質なカウンセリング
双子が成長するにつれてマネー博士の質問は露骨になり、もはや子供に聞くようなものではないようなことも聞くようになった。弟のブライアンには「セックスの夢を見たことがあるか?」「勃起するか?」などと聞いた。ブレンダも同じく、性的な質問をしばしば受ける。
その後もマネー博士は双子にポルノ写真などを見せた。大人がセックスをしている写真を見せ、「パパやママがいつもしていることだよ」と教えた。双子にお互いパンツを脱がせ、性器を見せ合うように指示したりもした。信じられないことだが、マネー博士は姉ブレンダに四つん這いにさせ、弟に後ろから股間を押し付ける体制を取らせた。マネー博士はこれらの行為は、子供が性自認を確立する上で必要なことだという。
当然のことだが、この訳のわからないカウンセリングは、双子に深い傷を残した。二人は大人になってもこの時の体験を思い出すと混乱し、泣き出すこともあったという。
1973年。このときブレンダは7歳。2歳のときに睾丸摘出手術を受けてはいるが、最終的にブレンダが女性として生きるには膣を形成する手術が必要になる。マネー博士は手術を受けるように説得してもブレンダは拒み続けた。このときブレンダは、手術を拒否していたのは注射や医者が怖かったのもあるが、本人の話では当時すでに「自分は女の子ではない」という自覚が芽生えていたという。
1974年11月の終わりころ。治療が進まないため、マネー博士はなんとかブレンダに自分と他の男子との違いを認識させるため、ブレンダの両親にも協力を求めた。マネー博士は両親のロンとジャネットに家の中で自分たちが裸でいることを見せたらいい、と提案する。両親はブレンダのことを思い、この提案に協力する形を取ったが、この試みは全く効果がなかったし、むしろ余計にブレンダを警戒させることとなった。
家庭環境の悪化
1975年。ブレンダの学校での態度が悪化。児童指導クリニックからは「極度の興奮状態。反抗的。不幸せそうである」と告げられた。そんな中、ブレンダの状態ばかりを気にかける両親に対して、弟ブライアンもまた深刻な感情を抱えることになる。自分に関心を向けさせようとして非行に走り、万引きで捕まる。
さまざまな問題を抱える中、両親のロンとジャネットは全く別の土地で生活をやり直すことを決意し、家を売って引越しをした。ブリティッシュコロンビアという田舎の地に移り住んだ。
しかし、夫のロンは次第に家の事情から目を背けるようになり、新しい土地で話し相手のいないジャネットはうつ状態となる。ジャネットはロンにやきもちを焼かせるために、他の男と関係を持った。ジャネットは罪悪感から睡眠薬を大量摂取し、病院送りとなる。さらにそのあと家が火事になるというダブルパンチともいえる事態も起きている。
引越しして1年5ヶ月がたった1976年11月、元の土地へ戻ることにした。新しい土地でやり直すという試みは、問題をさらに悪化させてしまった。引越しとはタイミング次第でいろんなことがマイナスに働くことがある。
精神科医とのやり取り
1977年5月、ブレンダは新しい精神科医に引き継がれた。これまで担当していた医師が都合により、他の街へ移ったからである。新しく担当した精神科医インギムンドソンは、ブレンダが執拗に性転換手術を拒否するのは、自分に関する真実を聞かされていないことを薄々感じてるからだと、確信した。ブレンダは自分の過去の医療事故についての真実を知らない。ブレンダはすべてを知るべきである。真実を知ることにより、手術を受ける意外に道はないことを納得するとインギムンドソンは考えた。
精神科医のアドバイスを受け、父ロンはブレンダに手術の事故のことを話そうとしたが、上手く伝えることができず、真実を話すには至らなかった。
ホルモン療法の開始
1977年、ブレンダはもうすぐ12歳の誕生日を迎える。ホルモン療法が必要な年になったと医師に告げられる。2歳で睾丸摘出手術をしているため、思春期からはホルモン剤を投与しなければならない。ところがブレンダは薬を飲むフリをしてトイレに流していた。それを知った両親は、薬を飲むまで見張ることにした。ブレンダは嫌々、女性ホルモン剤のエストラジオールを飲んだ。ブレンダの胸は膨らみ始め、ウエストやヒップに脂肪がつき始めた。ブレンダは女性らしい体型になるのが嫌だったので、大量にアイスを食べ、太ることで誤魔化そうとした。
この後、ブレンダの声変わりが始まった。幼少期に睾丸摘出をしていて、女性ホルモン剤を投与しているのに、声が男性化するのは説明がつかなかった。ブレンダの声は弟のブライアント同じような声に変化していった。
ブレンダの成長は、他の女子とは少し違う感じなのは誰の目にも見て取れた。声が低く男っぽいことから「原始人」というあだ名で呼ばれるようになり、からかわれる。
ブレンダの主張ははっきりしていた。とにかくもうマネー博士のカウンセリングは受けたくない、手術も受けたくない、ということだった。マネー博士との面会を拒否し続けるブレンダに母親も理解を示し始める。このときブレンダは14歳。マネー博士のいるジョンホプキンス大学へは二度と行くことはなかった。
男性に戻る決意
1980年3月14日、ブレンダは父の車の中で、これまで話されなかった本当のことを聞くことになった。なぜこのタイミングだったのかはわからないが、父のロンはブレンダに全てを話す。もともと男性として生まれたこと、手術で失敗したこと、女の子として育てたこと。それを聞いたブレンダは、これまで変だと思ってきたいろいろなことへの辻褄があった。自分は間違っていなかったと確信した。ブレンダは去勢手術を受けても女の子として育てられても、男性の性自認が変わらなかったのだ。
真実を知ったブレンダは、生まれた性に戻ることを決意した。これまでブレンダとよばれていた自分の名前をデイヴィッドに改名する。
15歳の夏、親戚の結婚式があり、そのときは親戚や家族の前に男性の服装で現れる。女性ホルモン剤の投与で胸が膨らんでいたのでテープで補強していた。
その後まもなくデイヴィッドは、テストステロン(男性ホルモン)の注射を投与。1980年10月22日に、左右の乳房切除の手術を行う。
翌年1981年7月2日、デイヴィッドは人工ペニスを作る手術を受けた。当時はかなり難しい手術で、人工尿道の閉塞と感染症で18回入院を繰り返した。
その後、デイヴィッドは18歳になり、巨額のお金を受け取ることになる。手術で失敗した賠償金としてセントボニフェイス病院用意したお金だった。両親は病院側と66000ドルで和解していた。人1人の人生を狂わせた手術の賠償金としては、決して十分な額ではない。当時は66000ドルだったが、利息や何やらでデイヴィッドがお金を受け取る頃には17万ドル以上になっていた。デイヴィッドはいきなり金持ちの若者となった。
その後
デイヴィッドはその後、何度か女性とデートをしたりと青春を送っていたが、ある女性とベッドを共にするところまでいくと股間の人工ペニスのことがバレてしまい、皆にいいふらされる。そのとき再び笑い者となり、何度か自殺未遂を繰り返す。
21歳になり、再び人工ペニスの手術を受ける。13時間に及ぶ手術だったが今回はかなり満足な出来となり、女性とセックスもできるようになった。
1990年9月、弟夫婦に紹介された女性と結婚する。
男性として生まれ、女性として育てられ、再び男性に戻ったデイヴィッドの複雑な人生は、のちの精神状態にも大きく影響し、幼少期のトラウマに悩まれることもしばしばあった。痛ましいことだがこの本が刊行された数年後、デイヴィッドは35歳で自殺している。妻との関係がうまくいってなかったこともあるようだが、詳しい原因などは公にされていない。
このデイヴィッドの一例が、のちの性別適合手術に対する性自認の重要性を証明する一例となっているので、興味のある方は是非、読んでみてほしい。

こちらの動画でも解説しております。ぜひご視聴ください。



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