社会問題

性自認再考 本当に心が女性なのか?

今更だけど、改めて性自認について再考してみようと思う。言うまでもなく性自認とは自分が認識する心の性別のことだ。心が女性で体が男性だとトランスジェンダーということになっている。

けど、心が女性って何なんだろう? と考えさせられてしまうニュースがある。まずはこの記事を読んでみよう。

2024年5月9日の産経新聞にこのような記事があった。

トランスジェンダー団体が反対派女性を「過激派」扱い。ドイツ性別変更法成立でバトルに

ドイツで4月、トランスジェンダーの人たちが自己申告で性別変更できるようにする「自己決定法案」が連邦議会で可決成立した。トランスジェンダー団体は大きな勝利だとして沸く一方、法案に反対したフェミニストたちを「過激派」と喧伝するパンフレットを配布。反発した女性団体が、政府に抗議する騒ぎになっている。

性別変更にはこれまで、精神科の診断など煩雑(はんざつ)な手続きが必要だった。新法が11月に施行されると、本人が役所に申請して3ヶ月で変更できるようになる。法案を主導した連立政権の第2与党、緑の党パウス家族相は「人間の尊厳を守る法案です」と高らかに宣言した。

 法案は、変更前の性別を暴くことを禁じている。このため、女性団体の一部は「女性の社会進出を促す『クオータ制』が悪用されるのでは」「男性の身体で女性トイレを使う人がいると、利用者が脅かされる」として反対してきた。

クオータ制ってのは、一定の比率で男女を割り当てる制度のことだ。例えば政治だったら議席の半分は女性にするとか。

 パンフレットは、こうした反対派の女性たちを「トランス排除の過激派フェミニスト(TERF)」と位置付ける内容。トランスジェンダー団体「連邦トランス協会」が新法成立に合わせて作成した。28ページの冊子で、「TERFとは何者か?」が表題。「右翼の保守派」「西欧の白人思想」に傾倒して差別を助長していると批判的に説明した。TERFはTrans-exclusionary radical feministの略語で、米国から広がった。

欧州では、ベルギーやデンマーク、フィンランド、スペインなどが、ドイツと同様の自己決定法を施行している。

という感じで、ドイツでは自己申告で性別変更できるようになった。日本では現在、性別変更には手術要件が条件となっており、自己申告だけでは変えられない。

欧州は日本のような戸籍制度はなく、住民登録制度。日本は家族単位、欧州は個人単位となるので、個人の意思決定を尊重するという意味では日本よりヨーロッパのほうがその意識が高い。

しかし、特定の権利を尊重することは、また新たな権利問題を生む。一般の女性の権利も守られなくてはいけない。女性は、体が男性のままの自称女性が女性の空間に進入してくることに恐怖心を抱いている。そりゃそうだ。

近年日本でも同じことが議論されている。性別が自己決定で決まるのであれば、心は女性だと言って女子トイレや女風呂に入ってくる人が出てくるのではないか? 実際過去に自分は女性だと言い張って女湯に入った女装がいたわけなので、そういう目で見られても仕方ない。自己決定法案はガチな人とそうでない(趣味の)人をどうやって判別すればいいのかわからないことが問題なのである。

ちなみに私は過去に何度も動画で言及しているが、トイレは男子用か多目的、大衆浴場は極力行かないようにしている。緊急時などでどうしても共用の風呂に入る必要があるときは男子風呂、という態度を取っている。そもそもトイレは用を足す場所で、風呂は体を洗う場所だ。使用目的以上に求めるものはない。

私は自分の生き方を自分で決めてきたが、それなりに社会との折り合いを付けながら順応してきたつもりである。なのでこうした自己決定法案やLGBT法案は自分の生き方にそこまで影響していないので、正直言って反対でも賛成でもない。ただ、必要としている人がいるなら、その意見は冷静な態度を持って聞くべきだと思う。この手の議論はヒートアップする人が多いので進展せずに終わる場合が多い。他者の意見に過激派と言ってる時点で自分が過激派なのではないだろうか

ここで、性自認の話に戻る。

こういった社会制度があろうがなかろうが、私はトイレも風呂もどうでもいいし、手術要件に乗っ取って性別移行の手術をするつもりもない。戸籍も男性のままでいい。さてそんな私は本当に心が女性なのか? と考えてしまうのだ。今日の論点はここである。

確かに私は、幼少期から男性社会に違和感を抱いていて、なんだか馴染めなかった。まず親父が男男しすぎて馬が合わなかった。学校も同じで、背中バンバン叩いてくるやつ、プロレス技をかけてくるやつ、プールで本気で沈めにくるやつ、持論が破綻してるのにマウント取りにくるやつ、といった血の気の多い連中に会うたびにうんざりしていた。やたら手を出してくるので怒ると、怒ったことに怒ってくるので、ますます男というものがわからなくなる。こうなったらもう殴り合うしかないのだが、勝っても負けても気分が悪い。

その後中学に上がると、かつての友人たちはエロに目覚めていく。私自身もエロに興味がないわけではないけど、あそこまで朝から晩までマ○コマ○コ言ってるのを見ると「みんな変になってしまった」と思ってしまう。このころから少なくとも自分は男性ではないな、とはっきり認識していたが、かと言って「何から何まで頭の中が女性か?」と聞かれるとそれも違う。女子がせっせと読んでいたMYOJOには興味なかったし、ジャニーズの下敷きも欲しくなかったし、授業中に手紙回したりもしなかった。好きなタイプの男子に熱をあげることもなかった。

つまり、自分は男性ではないんだけど、完全に女性というわけでもない。ただ、男性社会がよくわからないし、どちらかというと女性らしい姿で日常を送りたい。それをするためには親兄弟とか友達とか故郷とか仕事とか金玉とか、いろいろ捨てなければいけないものがあるけど、全部捨ててもそうなりたいと思った結果が今の私である。男を辞めるという意味ではそれなりに本気度は高かった。

整理してみよう。

性自認 男性 ×

性自認 女性 △

恋愛対象 男性

戸籍 男性 

体 一応男性だが生殖機能がない

今の自分を表すとこんな感じだ。さて、問題は頭の中である。一体何を持って性自認が女性と言えるのか? 当事者の私ですらわかっていない。

男性ではない、とははっきり言えるけど「女性だ!」と言い切るほどでもない。最近ではこだわりがなく、どっちでもいいよ。と思っている。

名前も本名のままだぜ。○□メガネの人と同じ

女性とは何か?

うーん。ただ、長年オカマをしてきた私がいろんな人を見てきた中で、こういうの女性的だな、と思えるものが一つあって、それは「女性は対になることを好む」ことである。女性は男性と交際するにしても、友達と一緒にいるときにしても、常に共感し合える一対一の関係でいたいと考えている傾向がある。一人になることを極端に避ける。女性を観察していると、絶対的共感関係にある相棒みたいなのが常にいる。脳波がブルートゥースでつながってるじゃないか、と思えるくらいやたら通じ合ってるマブダチがいる。

一方男性は真逆であり、グループか一人でいることを選ぶ。男性を観察していて感じるのだけど、男性は誰かと二人きりで長い時間いることが苦手なんじゃないかなあ、と思う。異性同性問わず二人きりでいると、他に仲間を呼びたくなったり、一人になりたくなったりする。前にある男性が、電話で友達をたくさん呼んで、みんな集まってワイワイしてきたら急に一人になりたくなって帰った、という話を聞き「アホかこいつ」と思ったけど、なんかわかるなあと思った。

橘玲の著書「女と男、なぜわかりあえないのか」にこんなことが書かれている。

男は集団で協力し、女はペアで協力する

男の子同士で5人グループで組ませ、集団対集団の競争だと告げると、ごく自然にリーダーが決まり、全員が作業に協力し合うようになる。ところが一対一では個人間の競争になって、負けている側はやる気をなくし、協力しなくなってしまう。

中略

ところが女子を5人の集団にすると、みんなで作業する前に、まず自分が誰と対になるかを探そうとする。女の子集団では全員に向かって話すことは少なく、特定の相手としか会話しなくなった。

男が集団に最適化しているのに対し、女は一対一に最適化している

(女と男 なぜわかりあえないのか 橘玲 )一部引用

確かににわたしはつるむのが苦手だぜ。

常にツガイのような関係性を求めるのは女性特有のようだ。わたしはグループでいるのも落ち着かないけど、ずっと誰かと一緒にいるのもやっぱり落ち着かない。最後は一人が楽、と思ってしまう。孤独死上等なので、これは女子の思考とは言えないかも知れない。

自分の中には女性らしさ、というものはあまりなくて、近い考え方としては作家でありトランスジェンダーである能町みね子さんの言ったことが、しっくりくる。

 私はトランスっていうことになってますけど、これも「トランスジェンダーとして生きよう」と思ったわけじゃなくて、こういう生き方になった結果、これは世間ではトランスってことにしておけばわかりやすいからまあいっか、っていう感じです。(慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話)P209から引用

まさにこれである。結果として、それを説明するのにトランスって言葉があるのでそういうことにしているだけだ。トランスで通じなければ別にオカマでもいい。

さて、ドイツが性別の自己決定法案を可決したことから、あらためて性自認とは何か? を考えてみたわけだけど、もちろん今回も結論は出ない。わたしはこのままでも不自由なく生きていけるが、世界常識は常にアップデートされていく。遅かれ早かれ日本でもブッ込まれる問題ではある。

さっきも話したように、わたしは性別の自己決定法案に関しては賛成でも反対でもない。自分の性自認さえどこまでが女性なのかわからないのだから、他人のことなんてわかるはずがない。

ただ、男女の世界に「どっちでもないです」と、ややこしいものをぶちこんでいる人間のひとりとしては、どういった社会になるのが一番いいのか考えなければならないとは思う。

変化の激しい、面白い時代にマイノリティとして生まれたということで、時代の変化を見届けさせてもらうぜ。

動画はこちら😙

【性自認】を再考する。ドイツで自己申告で性別を変更できる自己決定法案が可決成立。私は本当に心が女性なのか問題。

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