相手が不快に思うことは全てハラスメントになる時代。それが令和。

パワハラをはじめ、セクハラ、モラハラ、カスハラ。無理やり酒を飲ます、アルコールハラスメントのアルハラ。
さらにはジェンダーについて苦言を浴びせるジェンハラ。「鬼滅の刃」を見ろと強制されるキメハラなどというものまである始末。
このほかにも、細分化されたハラスメントは枚挙にいとまがない。
実に生きにくい昨今。こうなると「ああ昭和は良かった」という人間が出てくるのも無理はない。
しかし、本当に昭和は良かったのだろうか?

私自身のジェンダーアイデンティティの話を交えて語ろう。
今日の話。本当に昭和に戻りたい?
昭和の定義
まず、昭和の定義をしていこうと思う。当たり前のことだが昭和とは元号であり、昭和天皇が即位してから崩御するまでの64年間のことを指す。西暦に変換すると1926年12月25日から1989年1月7日までとなる。
しかし個人的に、ニュアンスとしての昭和は、昭和生まれが味わった思春期時代も含むのではないかと考える。
つまり、平成初期から中期にかけての昭和の空気がまだ残っている時代も「昭和」に含まれる。
そして知れば知るほど、オカマにとって昭和は地獄だったことがわかると思う。
可愛いは悪
現代日本は「可愛いは正義」全盛期。世界共通語となったKAWAIIは、もはや若い女性だけのものではなくなった。
日本全国ゆるゆるの可愛いご当地キャラが作られ、選挙や就活のポスターは若者に媚びるようなアニメ絵柄。
「ちゅ、可愛くてごめん」「かわいいだけじゃだめですか?」などといった、可愛さマウントを取るような歌まで流行している。

しかし昭和は、可愛いマウントどころか「この世は私のためにある」と言い切った山本リンダという怪物がいたので、可愛いマウントなんてまだ可愛いものではあるが。可愛いだけに。
ともあれ、世界はすっかり可愛くなってしまった。それが令和である。
私は幼少期、可愛いものに憧れていた。しかし、それを許してくれる昭和ではない。
昭和は、男の可愛いは悪であった。
ピンク色の文房具を筆箱に忍ばせておくだけでも「エロピン」と言われた。男子がピンク色の所持品を持ってるだけで「エロピン」と呼ばれ罵られる。これが昭和である。
てか、エロピンってなんだよ

さらに、セーラームーンに強いあこがれを抱くが、親や兄弟に知られたくないので、隣町の本屋まで自転車で漫画本を買いに行き、押し入れの天井裏に隠すということまでしていた。まるで隠れキリシタンが十字架を隠すような毎日だった。
男がセーラームーンを読んでいることを知られてはいけない。これが昭和である。

大人になってからkindleで全巻買いなおしたぜ
情報が皆無
今はインターネットがあるので、調べたいことがあればスマホで即座に調べられる上に、最適解に導いてくれるチャットGPTなどというものがある。こんなの昭和を過ごした私からしたら天国以外の何者でもない。
当然、わたしが10代の頃は、性同一性障害などという言葉も知らない。LGBTなんて言葉も存在しない。自分の内在的なものを調べたいと思っても、まず単語が分からないのでなすすべがなかった。
中一のころ、私は何となく男性の格好が嫌だったし、他の男子のエロに対する欲求が意味不明だった。マジで同級生たちがサルになってしまったんではないかと悩んだ。

しかし、おかしいのは周りではなく自分であると薄々気がつき始める。女子生徒と同じ格好をしたいという欲求が芽生えるが、私の通っていた中郷中学校は当時男子は全員丸坊主、そして学ラン。おまけに中一で急激に視力が落ちたのでメガネも必須になった。ただでさえ自分の姿が嫌なのにメガネなんてうんざりだった。自身が理想とする外見と現実のギャップに苦しみ、勉強どころではなくなった。小学校では音楽を除く全教科が4か5だった成績が、中学ではほぼ最下位までに落ちた。メガネをかけたくないせいで、黒板が見えてなかったことが原因だと思うが、そもそも勉強に手がつかなかったのだ。そりゃあ成績も落ちるわ。

このときの私は勉強より美意識のほうが大事で、美しくなりたい、という問題ははっきりしていたのだけれど、何をすればいいのかさっぱりわからなかった。
欲しい情報を得る術がない。これが昭和である。

あのころインターネットがあればなあ。
おかまは最低である
さて、遡ること今から40年前。この頃おかまと呼ばれていた人種がどのような評価軸にいたのかをお教えしよう。
時代はエイズが流行り出したころであり、有名なところだとクイーンのフレディマーキュリーがエイズで亡くなっている。同性愛=エイズというレッテルが張られ、ゲイやおかまに対する世間の風当たりは相当に強かった。
さて、ここで一冊の小説を紹介しよう。
未確認尾行物体 島田雅彦
以前のブログでも紹介した、エイズになったおかま「ルチアーノ」の話であるが、まあ酷い。現在だと確実に発禁処分を受けるような内容である。
表紙裏の紹介文を読んでみよう。
産婦人科医・笹川賢一にとってルチアーノとの出会いが破滅の始まりだった。この執拗なおカマの尾行者のために、笹川氏の世界はハチャメチャな逆転をとげる。優雅な「上流階級」からの脱落、家庭崩壊、そしてエイズ。その中で笹川氏が得た真理と救済とは? エイズを通じて人間の生の深淵をえぐる問題作。
このころから、オカマは男を付け回す、というイメージがあったようだ。
ここで、この小説に書かれている当時のおかまの扱いについての文章を読んでみよう。
おカマは一代限りで子孫は残せない。生まれた時は親の子でも、おカマになったときから勘当も同然の扱いを受ける。社会習慣や道徳で満たされた世界から遠ざかった者にはただ一つの活路しか残されていないのだ。それは、同族の者たちが寄り添って、一つの禁忌(きんき)の世界を組織すること。そう、おカマはおカマだけのエデンの園にとどまるしかない。
おカマは決して、アブノーマルな世界に浸り切っているわけではない。以前はルチアーノが働いていたゲイ・バーにくる客は自分たちはノーマルな種族、おカマはアブノーマルな種族という二元論の楯に隠れて、無神経な人種差別ゲームに興じていた。鼻持ちならない成金が愛人を連れてやってくると、おカマは一個の見世物になる。「キャー、本物みたいだわ」といって騒ぐ愛人を見て、成金は喜ぶ。何しろ女が一番偉くて、二番目が男、おカマは最低なのだ。
(未確認尾行物体から引用)
もやは笑うしかない。これが昭和のおカマが受けていた扱いだ。ここまで酷くはないが、近年までもこれに近い価値観を持っている人はいた。
この小説、主人公の産婦人科医の男性がおかまにエイズをうつされる、といいう話だが、実は彼は最初からエイズに感染していた。彼にエイズをうつしたのは離婚した妻だった、という意外なオチである。ネタバレですが、まあ、今頃この小説読み直す人はおらんだろうと思うし。
こんなイカれた小説が普通に出版されていた。これが昭和である。
島田雅彦の初期作は好きよ
昭和だろうが令和だろうが好きに生きろ
最近、ネットニュースなどでよく、ロスジェネの不遇を嘆く記事を見かける。ロスジェネとはロスト・ジェネレーション世代の略で、就職氷河期時代に苦しんだ1970年から1984年生まれの、現在55~40歳あたりの世代を指す。
記事の内容はこんな感じだ。
今は若者が優遇される時代で、初任給も自分たちの頃に比べて遥かに高い。スキルを身につける機会も得られず、派遣や契約社員という形で使い捨てにされた。現在も年収が低く、結婚もできない。今の若者がうらやましい。
一見すると泣き言のようにも見えるが、この時代に生きた私は、彼らの気持ちがわからないでもない。私自身も、まあ粗末に扱われたものだ。面接は落ちる落ちる。ようやく会社に入ったところで「お前の代わりはいくらでもいる」と言われていた。

そういう意味では、おかまになることを抜きにしてでも、社会に対してそれほど期待していなかったのかも知れない。給料が低くていつも金欠だし、バブル全盛期にいい生活してた上司のマウントはうざいし、このままサラリーマンを続けてもつまらないだろうな、とは薄々感じていた。特に青森という土地は人生を変えるような環境ではないし、ここにいてもどうにもならないと感じていた。結果的に私は33歳で社会人生活に見切りをつけ、脱サラすることになる。神奈川に引っ越し、オカマバーにつとめた翌月、男性もののスーツと靴は捨てた。
昭和生まれにとって、人と違うことをする人生は博打でしかないというイメージは強い。しかし今の令和の時代は、好きなこととやりたいことを貫けば案外うまくいったりもする。もちろん努力は必要だし、自由には孤独と責任が付きまとう。それでも、自由な表現をすることもできず殻に閉じこもっていた中学時代や、面接でゴミのような扱いを受けた就職氷河期に比べたら、自分で自分の方向性を決めることができる人生はめちゃくちゃ面白い。
私が好きな作家、村上龍が、69~sixtynineという小説のあとがきにこんなことを書いている。
楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れない。
数少ない例外の教師を除いて、彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。
彼らは人間を家畜へと変える仕事を飽きずに続ける「退屈」の象徴だった。
そんな状況は、今でも変わってないし、もっとひどくなっているはずだ。
だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。
彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今でも続けている。
(69 sixtynine あとがきより引用)
私は若いころこの文章を読んで以来、ずっとそれを意識してきた。
楽しく生きることは戦いでもある。
私は、自分をつまらない人間にしようとしたつまらない奴らより楽しく生きよう、ということを常に心掛けている。
私にとって、昭和はそれほどいい時代だったとは言えないけど、反逆精神を養うにはいい修行になった。
ありがとう昭和
そして、
さようなら昭和
おあとがよろしいようで。
さあて、always三丁目の夕日でも見ようかのう。



コメント